1991年に九州大学医学部を卒業後、循環器内科の道を歩んできた福本教授。米国ハーバード大学への留学、東北大学での准教授を経て、2013年より久留米大学の内科学講座心臓・血管内科部門の主任教授に就任。医局での人材育成に注力している。専門領域を大きく転換させるなど転機を乗り越えてきた歩みとキャリア観についてお話を伺った。

福本教授は九州大学医学部を卒業以来、循環器内科医として研究や人材育成に取り組んできた。福本教授が医師を志した背景には、身近なロールモデルの存在があった。病棟実習での原体験から循環器内科の道を選び、米国ハーバード大学への留学を経て臨床の最前線で研鑽を積んできた日々を振り返っていただいた。
成功体験は、医学の道に進み、循環器内科という領域に出会ったことです。父方の祖母の実家が広島県の三原で江戸時代に医業をしていて、孫を医師にという思いがあったと私の父から聞いていました。歳の離れた従兄弟が既に医師になっており、話を聞いていて面白そうだなと思ったのがきっかけです。1年浪人しましたが、共通一次試験(現在の大学入学共通テスト)で少し失敗してしまいました。そこでもともとの志望校を諦め、九州大学を選びました。結果として医学部に合格したのは自分にとってひとつの成功体験だったと思います。
循環器内科を選んだのは、病棟での実習がきっかけです。院内救急で駆けつけ、患者さんの心臓の動きや呼吸を再開させる医師たちの姿を見て、「自分もこうした治療が出来る医師になりたい」と感じました。心臓に関する処置は循環器内科、呼吸に関する処置は麻酔科が主に担います。どちらにするか迷いましたが、先輩たちのアドバイスで循環器内科を選びました。
当時の九州大学の循環器内科は、成績優秀な人しか入れないと学生の間で言われていました。恥ずかしながら成績がかなり悪かったものですから、「入局してもいいでしょうか」と当時の医局長に直談判して、なんとか循環器内科の道に進むことができました。
九州大学の循環器内科では卒業後2年間研修医をして、2年間基礎実験。その後2年間外の病院に出て心臓カテーテルやPCI(経皮的冠動脈インターベンション)の経験を積むという、6年に及ぶ道のりが一般的でした。PCIは、狭くなった冠動脈をカテーテルで拡張して心筋梗塞の症状を軽減する治療法です。当時は深く考えず、そうした流れに乗りました。動脈硬化の研究で学位論文を書き、博士号を取得しました。
その後、留学先のハーバード大学ブリガムウィメンズ病院では、動脈硬化の大家であるピーター・リビー教授のもと、血中コレステロールを低下させる治療薬であるスタチンの実験などを行いました。世界一と言われるラボでしたが、実際に行ってみると実験や手技そのものは、九州大学でもできることだと気づきました。一番大事なのは他の人とのつながりと情報だと学びましたね。
一方、飯塚病院や北九州市立医療センターなど地域の基幹病院で、急患対応も含めて、PCIなどを数多く経験しました。ちょうどステントが普及し始めた頃で、急性心筋梗塞の患者さんが来院すると駆けつける毎日です。

40歳の時の東北大学への異動は、福本教授のキャリアにおける最大の転機だった。住み慣れた九州の土地を離れ、東北へ。さらには心筋梗塞から肺高血圧症へと専門領域を大きく転換する二重の挑戦が待ち受けていた。その経験が、現在の「失敗してもなんとかなる」という考えの土台となっている。
キャリアにおける大きな転機は2006年、40歳の時に東北大学へ異動したことです。九州から縁もゆかりもない東北へ、40歳という年齢で移ることになりました。当時の私は「茨の道だけど行ってきます」と周囲に話していました。しかし根底には、「失敗しても命まで取られるわけじゃないし、どこかで仕事はあるだろう」というやや開き直りに近い気持ちもありました。
東北大学では、診療グループが三つに分 かれていまして、私は心不全と肺循環を担当する「循環グループ」のチーフを任されました。そこで出会ったのが、慢性血栓塞栓性肺高血圧症(CTEPH)に対するカテーテル治療、BPA(経皮的肺動脈形成術)です。当時はBPAの黎明期で、岡山医療センターの松原広己先生に東北大まで来ていただいて、技術を習うところから始まりました。
1例目は本当に難しい症例で、患者さんが血を吐く場面もありましたが、無事に回復して退院。治療によって生命予後が劇的に良くなることを経験しました。必死に取り組み、現職の久留米大学でも治療法を先生たちに教えた結果、現在は全国の医療機関でBPAが行われています。私自身も、日本肺高血圧・肺循環学会の理事長を務めるまでになりました。人生、分からないものですね。
こうした経験から、「失敗してもなんとかなる」と思えるのは大事なことだと感じています。私は今60歳なのですが、この年齢になるとなおさらそう思います。新しいことを始めるのは勇気がいりますが、どこにチャンスがあるか分かりません。何かに一筋に打ち込みすぎても、チャンスを拾えないことがあります。大きな流れには逆らわず、失敗を恐れずに飛び込んだからこそ今の自分があると思っています。

久留米大学教授に就任してから10年以上、福本教授は一貫して人材育成に注力。充実した研究環境を活かしながら、医局員それぞれの可能性を引き出す指導を続けている。その根底には「継続は力なり」という信念と、ひとつのルートに縛られない柔軟な考え方がある。
座右の銘は「継続は力なり」ですね。九州大学に在職していた時代から人材教育に力を入れていましたが、久留米大学で教授に就任してからはさらに注力しています。久留米大学は歴史があり、動脈硬化・心不全・肺循環など、いろいろな研究が行われている場所です。食生活と心血管疾患の関連などの疫学調査を行う田主丸研究も60年続けています。幅広いジャンルの人材育成に貢献でき、やりがいがありますね。
人材育成で大切にしているのは、選択肢をいくつか用意しておくことです。ある医局員が基礎実験を長く続けていても思うような結果が出ず、非常に悩んでいました。そこで私は、当時注目され始めていたビッグデータの取り扱いを彼に勧めてみたのです。結果的にそれが論文になり、「あの時にお引き受けして良かったです」と言ってくれました。どこにどんなチャンスがあるか分からないので、ある程度幅のある選択肢は必要だと思います。
また、留学を希望する人がいれば、留学できるようサポートしています。当科では、常に6~7人は留学していますね。1か所にずっといるよりは、あちこち行って外の空気を吸った方がいいと思います。実際に、ハーバード大学への留学や東北大学での経験があったからこそ、今があると感じています。
医療も医局運営も、ひとつの道にこだわり過ぎるのは良くありません。医局員が「これしかない」と思い詰めないようにフォローしています。いくつかの選択肢を持ちながら、大きな流れの中でやるべきことを継続していくことが大切です。

忙しく働きつつも、家族との時間を大切にする福本教授。学生時代のバックパッカー経験が、「なんとかなる」という考え方の土台になっているという。そんな福本教授のプライベートについてもお話いただいた。
今は副院長や主任教授としての仕事があり、休みをあまり取れていません。この前の週末もサウジアラビアへ出張に行き、日曜日に帰ってきました。
ただ家にはなるべく早く帰って、家族と一緒に食事を取るようにしています。その後また仕事を再開するのですが、食事の時間は大切にしていますね。休みが取れた時には、妻と一緒に買い物に出かけるのが今の楽しみです。
学生時代はバックパッカーをしていて、5年生の時に5週間ヨーロッパを放浪したことがあります。福岡からロンドン、帰りはギリシャのアテネから福岡という格安チケットを握りしめて行きました。ロンドンからアテネまで自力で移動しなければ帰れないという状況です。5週間のうち3週間は完全な一人旅で、格安のユースホステルを渡り歩きました。お金もあまり持たずにいろいろな所を歩き回った経験が、「なんとかなる」という考えにつながっているのだと思います。

これからの医療を担う若手医師や学生へ、自身の経験に基づいた力強いメッセージを語ってくれた福本教授。失敗を恐れず、先の利益にとらわれず、長い目でキャリアを積み上げてほしいという願いが込められている。
医局の結婚式のスピーチでも、「人生には失敗がつきものです。失敗することで人生の引き出しが増えて、また自分たちの後輩にいろいろ教えられるようになります。若い時の失敗はどんどんしなさい」とよく話しています。失敗しても助けてくれる友だちを周りに作り、先の利益にとらわれず、長い目で進んでいきましょう。今やっていることがすぐには花開かなくても、どこかで必ず役に立ちます。
私自身のキャリアを振り返っても、最初から教授を目指すようなタイプではありませんでした。成績が悪かった学生時代から、「とりあえずやってみよう」という気持ちで続けてきたことで道が開けました。思い切って東北に行ってみたり、新しい治療に挑戦したりしてきたことが、今につながっています。ぜひ皆さんも、失敗を恐れずに流れに乗って、いろいろな経験をしてください。
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