建築設計・デザインの世界から、医学の道へと転身した外山院長。2021年に奏診療所を開設し、在宅医療・地域医療・プライマリケアの実践に取り組んでいる。キャリアや在宅医療への想い、若者たちへのメッセージなどについて伺った。

高校時代の入院経験から医師を志すも、建築の道に進んだ外山院長。20代後半で祖母の死と息子の誕生を経験し、再び医師を志した。「最大の成功体験は、在宅医療との出会い」と語る外山院長のこれまでの歩みを振り返る。
最初に医師になりたいと思ったのは、高校1年生の春でした。高校入学してすぐに自然気胸で緊急入院になってしまったんです。手術を受けることになり不安な中、麻酔科の先生が病室に来ていろいろ話をしてくれたんです。それで不安はかなり軽減されて、無事手術を受けることができました。術後も毎日様子を見に来てくれて、病気とは全然関係ないいろんな話をしてくれて、大きな支えになってくれました。「この先生のように、病気で不安な人、困っている人を支えられる人になりたい」と思ったのが最初のきっかけですね。その先生に勧められて読んだ山本周五郎の「赤ひげ診療譚」も医師という仕事を明確に意識する一因になりました。
その後、両親に「医者になりたい」と伝えたら「それなら実際の医療現場を見てきなさい」と言われ、高校2年の夏休みを利用して知り合いの病院で看護助手として1か月ほど働かせてもらうことになります。清拭や排泄ケア、食事介助やベッドメーキングなどの仕事をしました。末期がんなど重病の患者さんも多かったのですが、ある朝出勤すると、前日にお世話をした患者さんのベッドが空っぽでした。その方が昨夜亡くなったと知って、とても悲しく無力感を感じたのを鮮明に覚えています。当時は死=敗北と思いこんでいたので、治療の甲斐なく亡くなる患者さんに接して無力感を感じましたし、またそれを日々の生業にしていくことは自分には耐えられないと思ってしまったんです。なんともナイーブですが、それで医学とは別の道をいくことになりました。
その後は東大の工学部と大学院で建築学を学びました。卒業後は一級建築士の資格をとり、設計事務所で建築設計やデザインの仕事をしていたのですが、20代後半で大きな人生の転機が訪れました。自分をかわいがってくれていた祖母が亡くなり、その2日後に息子が生まれたんです。肉親の死と誕生という大きな出来事が立て続けに起こったことで、人の命というものをリアルなものとして実感し、そこに直接関わっていきたいという強い思いが蘇ってきました。
ちょうどその頃、3年次から医学部に編入できるシステムがあると知り、その制度が始まったばかりの長崎大学医学部を受験、ご縁をいただき学士編入一期生として医学の道を歩むことになりました。
再び医師を目指したときから、高校2年の夏に味わったナイーブな無力感にリベンジしたいという気持ちはいつもどこかにありました。患者さんが元気な時でも死にゆく時であっても、支えになれる医師になりたいと考えていました。その目的を叶えるために、卒業後の初期臨床研修は、総合内科の研修プログラムが充実していた国立病院機構東京医療センターを選び、総合内科の後期研修もそこで行いました。急性期医療をベースとして内科を一通り診療できるようになったことは、その後のキャリアの基本となりましたし、なんでもひとりでこなさなければいけない在宅医療というフィールドでも非常に役立っています。
総合内科の後期研修中に、国立病院機構東埼玉病院に派遣される機会があり、そこで本格的に在宅医療と出会いました。当時の東埼玉病院は、病院でありながら在宅医療にも取り組んでいるめずらしい病院でした。そこで在宅医療に触れて、「これだ!」と、運命的な出会いを感じました。
当時の私は急性期病院での医療の限界を感じていました。例えば、高齢の患者さんが誤嚥性肺炎になり、救急外来から入院加療を経て、自宅へ軽快退院したとします。しかしその後のフォローや再発予防がなされず、また救急車で運ばれてきて入院になるようなことが繰りかえされていました。専門科別アプローチの限界と弊害もたくさん経験しました。在宅医療では、横断的・包括的なアプローチを行わなければ話が始まりません。これこそが私の目指している医療が行える場だと確信しました。
在宅医療は、患者さんの生活の場に飛び込んでいき、限られた条件の中でベストを尽くすという医療です。そこでは医療は、患者さんの生活を構成する様々な要素の一つに過ぎません。しかし在宅では、患者さんの日常生活にも関わりつつ、入院によるデメリットを避けながら治療できます。また、自宅で最期を過ごしたいという終末期の方の想いを叶えることもできるのです。そのメリットは計り知れません。
後期研修後は、国立病院機構東埼玉病院などで、在宅医療やプライマリケアの実践と指導に携わります。病院に勤務しながら在宅医療もやるというスタイルは、在宅と入院をシームレスに行えるという強みがあり、やりがいもありましたが、自分たちの目指す医療を実現していくためにはやはり診療所というセッティングが最適だという話になり、2021年に東埼玉病院の同僚と一緒に独立して奏診療所を開設し、2024年には医療法人化することができました。開業したことで、自分たちの理念に従って仕事ができるようになり、大きな充実感を感じています。
常勤医師2名の小さな診療所ですが、在宅医療専門ではなく、外来診療と訪問診療の両方に取り組んでいます。外来診療から訪問診療への切れ目をなくすことで、主治医として継続性を持って診療することができますし、年余にわたり外来や訪問で継続的に診療させていただく中で、患者さんの人生に寄り添った医療が多少なりとも実現できているのではないかと感じています。
このように、やりたい医療を実践できているのは、同僚やスタッフなど、人とのご縁に恵まれ、マインドを共有できているからだと思います。一人では到底できなかったことばかりで、周囲の方々の支えがあってこそ今の自分があると感謝しています。
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