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継続は力なり
継続は力なり

継続は力なり

一般財団法人倉敷成人病センター 理事長安藤 正明

一般財団法人倉敷成人病センター
理事長
安藤 正明

自治医科大学を卒業後、数年間にわたりへき地医療を経験。その後、外科系手術に進みたいという思いから、婦人科を志した安藤理事長。積極的に内視鏡手術やロボット支援下手術を導入。治療の選択肢が増え、より低侵襲な治療が可能となった。その結果、日本はもとより海外でも高い評価を獲得。その技術を学びたいと、倉敷成人病センターには多くの医師が集まっている。「継続は力なり」の言葉通り、安藤理事長のコツコツした努力は大きく花開いた。安藤理事長の歩みは、これからの長いキャリアを考えるうえで、非常に参考となるだろう。


キャリアにおける成功について伺ったところ、内科のキャリアを積んだあと婦人科に進まれたことと、内視鏡手術を導入したことをあげていただいた。 内視鏡手術を導入したのは43歳の時。後発だったものの、患者さんの負担を減らすため、体腟内縫合を導入して、適応を拡大。海外の学会でも積極的に発表し、手術デモも多数行なった。ある程度キャリアを重ねても、新たなチャレンジを続ける姿勢こそが、成功をもたらすといえる。

 

キャリアにおける成功は、内科から婦人科に転換したことと、内視鏡手術を導入したことです。とはいっても、導入した時期はかなり遅いので後発組です。43歳くらいで導入しました。私の場合、そもそも婦人科の勉強を始めたのが30歳くらいと遅いスタートなんです。

出身が自治医科大学のため、へき地医療を何年か経験しないといけないという制約がありました。最初は外科系に進みたかったのですが、内科を約6年しなければならなかったのです。外科系は複雑な手術を何種類も習得する必要があるため、卒業後に長期間のトレーニングが必要なのですが、制約を破るのは難しく、周囲の理解も得られませんでした。当時の婦人科は、帝王切開と子宮全摘ができればある程度、一人前だとみなされていたため、トレーニング期間が短いと判断し、自分で婦人科の勉強を始めました。

回り道ではありましたが、外科系なのに手術ができないし、医局のルートに乗っていないので手術ができる環境に行くことも難しい。ハングリーな思いがあったからこそ、情熱が続きやすかったのだと思います。昔は、大学によっては医局に入ると、特段の努力をせずに一人前になれる状況でした。それですと、手術に対する情熱を持ちにくく、進歩もしにくいんですよね。

当時の婦人科は、内視鏡手術もロボット支援下手術も、再建手術もないので、治療の選択肢が今と比べて少ない状態でした。身体のダメージを抑える低侵襲手術としては、腟から子宮を摘出する腟式手術があり、患者さんのリカバリーが非常に早かったんです。内視鏡手術が現れたときも導入を検討しましたが、当時は腟式手術とほぼ変わらないうえに、おなかに管を立てる際の事故も多かったので、最初は反対派でしたね。でも5年くらい経って、内視鏡は広い視野があるから、縫合など開腹手術でしていることを、内視鏡で再現していけば可能性が広がると気がついたんです。

導入から1~2年くらいで学会に進出し、アメリカやヨーロッパなどいろいろな国に行って、さまざまな角度から内視鏡手術やロボット支援下手術について発表してきました。その結果、日本の若い先生たちに私の取り組みが知られるようになり、多くの人が集まるようになったんです。今では、婦人科医だけで20人くらいいます。そのおかげで、新しいことも始めやすい状態です。

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