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「初心忘るべからず」尊敬できる師との出会いが、今の自分につながっている。
「初心忘るべからず」尊敬できる師との出会いが、今の自分につながっている。

「初心忘るべからず」尊敬できる師との出会いが、今の自分につながっている。

東京都歯科技工士会/士本歯科技工学会・士本歯科審美学会 会⻑/副会長⽯川 功和

東京都歯科技工士会/士本歯科技工学会・士本歯科審美学会
会⻑/副会長
⽯川 功和

石川会長は歯科技工士学校を卒業後、日本の歯科医療の発展に大きく貢献した歯科医師・村岡博先生の診療所に就職。約20年にわたり、技術や哲学、歯科医療への姿勢など歯科医療に必要なあらゆることを学んだ。その後、独立し技工所を開業。歯科技工士の仕事をするかたわら、東京都歯科技工士会会⻑、日本歯科技工学会副会長、日本歯科審美学会副会長などを務め、歯科技工士を取り巻く環境の改善に取り組んでいる。「初心忘るべからず」の座右の銘通り、歯科技工士として真摯に向き合い続ける姿勢は、尊敬する師からの影響が大きい。その道のりは、若者にとって大きな学びとなるに違いない。


「実は歯科技工士について全然知らなかったと語る石川会長。イラストレーターやデザイナー目指し美大を目指すも受験に失敗。村岡博先生の勧めで、歯科技工士の道を志した。歯科技工士学校を卒業後、20年にわたる村岡博先生の診療所での修業は、キャリアにおいて最大の成功体験だったという。その修行の日々や先生とのエピソードについて伺った。

 

実はもともと歯科技工士について全然知らなかったんです。僕が高校生の頃って学生運動が盛んで、社会の歯車になりたくないという気持ちもあって、イラストレーターとかデザイナーができないかなと考えていました。美大を目指して勉強していたのだけれども、2浪をしても受からなかったんです。

僕の父と村岡先生がごくごく近しいような感じで、僕の話題が出たときに村岡先生が「それだったら、歯科技工士なんてどうだろう。物を作る仕事なので、美術的なセンスもいるし、いろいろ自分で時間を自由に使える」と勧めてくれました。それが歯科技工士を目指すきっかけなので、たまたまですね。

村岡先生の診療所で先輩の下に入って、準備などの下働きをして、ちゃんとした仕事をさせてもらえるまでに2年ほどかかりました。

村岡先生は、すでに巨匠と呼ばれるような方だったので、若い歯科医師の先生も修行に来ていて、診療所全体が勉強する意欲にあふれた雰囲気でした。先生は歯科医療への思いが強く、人柄も尊敬できるので、たくさんのことを教わりました。

「最後に残されるのはものを食べること。だからそれに関われるのはすごく幸せなことなんだ」っておっしゃっていて、歯科医療に対する姿勢は、村岡先生から学びました。あと村岡先生は、どの人にも分け隔てなく接する人で、若い歯科技工士である僕のこともすごく尊重してくれました。

そんな風に人柄も素晴らしく、もちろん歯科医療の知識や技術も非常に優れていたので、多くの人に慕われていました。そんな先生の近くで仕事ができたことが僕のキャリアにおいて、1番の成功体験ですね。職種問わずに歯科医療を志す仲間に囲まれて、自分の進むべき道を見つけられたからこそ、今の自分があると思っています。仕事で成功するには、身を置く環境が大切だと感じていますね。

独立して自分の技工所を開業したものの、経営者としての壁にぶつかった石川会長。「使われる身と使う側では、全く立場が違うことに気が付かなかった」「お金の出入りが全然分からなかった」と当時を振り返る。将来的に独立開業を考えている若者にとって、非常に参考となるだろう。

 

40歳くらいの時に独立して、自分の技工所を開業したんですけど、使われる身と使う側では立場が全く違うことを理解できていなかった。

まず、お金の出入りが全然分かりませんでした。診療所にいるときは、最新の機器とかも先生にお願いすれば、だいたい買ってもらえるような環境だったんです。経営の勉強を全くしてこないまま開業したので、大変でしたね。

また、スタッフを使うということに関しても、村岡先生の診療所は学びたいと思って入ってくる人が多いので、先生が「こうやるぞ」と言ったら、みんなが自然とそちらの方向を向いたんです。僕も同じように、「なんとなく背中をみせればみんながついてくる」と思っていたのですけれども、それではだめでした。

自分の技工所や会社をどうしていきたいかという哲学もありませんでしたし、開業後はギャップが大きくて最初のうちはなかなか大変でしたね。

座右の銘として、「初心忘るべからず」をあげた石川会長。若者と接する際は、自分が若手であった頃の気持ちを思い出して接しているという。そういった姿勢は、村岡先生から学んだものだそう。あらためて、石川会長のキャリアにおける、師からの影響の大きさを感じさせられる。

 

僕の座右の銘は、「初心忘るべからず」です。村岡先生に言われたのが、「人には身の置き所があるから、それぞれの立場で自分がその場で何をするかを考えることが大切」ということです。どういった立場になっても周りを見て、自分はどういう立場にあって、何をすべきかということを、どの段階でも考えなければならないと思っています。

自分が初心者の時もあったので、若い人に接する時は、自分が若手だった時の気持ちを思い出して、どうするべきか考えています。村岡先生は、あまり上下関係にこだわる人ではなく、こちらの話にもちゃんと耳を傾けてくれました。そういった姿を見ているので、初心を忘れてはいけないと思っています。若手との接し方という面でも、村岡先生の影響は大きいですね。

自分の技工所の仕事に加え、技工士会の会長や2つの学会の副会長を務めるなど、多忙な日々を過ごす石川会長。1日のなかでオン・オフを細かく切り替えつつ、これからの人生を楽しむため、積極的に身体を動かしているという。そんな石川会長に、プライベートや引退後にやりたいことについて伺った。

 

自分の技工所の仕事や技工士会や学会の会務があるため、1日まるまる休みということは、ほとんどありません。頼まれるということは他人から評価されているということなので、期待に応えたいなと思っていますし、あまり苦ではないんです。

ですので、1日の中でオン・オフを細かく切り替えているといった感じです。ただ、老後を楽しむのには身体が資本だと思っているので、フィットネスクラブやボクシングジムへ意識的に通うようにしています。

僕は働くって老後のための蓄え、準備だと思っているから、ある程度の年齢に達したら仕事はすべて辞めて、色々なことを楽しみたいんです。その時に身体が動かないんじゃ、楽しめないので。

引退してやりたいのは、すごく大きなことではないんですけど、ゆっくり旅行したいなと思っています。京都に行くにしても3泊とかじゃなくて、1ヶ月くらいいるとか。町家で長期滞在したいです。あとは、夏の暑い時期は北海道、冬は沖縄に行くみたいなスタイルの生活もしたいですね。

石川会長は若者たちへ「生活するには何かしら生業を持たなければならないので、やりがいを見出して前向きに過ごす方が良い」とメッセージを送る。「仕事の対価は、報酬だけじゃなく、感謝をいただけること。その幸福感は何事にも代えがたい」そう語る姿からは、歯科技工士という仕事に対する熱い想いが溢れていた。

 

若い人たちにお伝えしたいのは、「生活するには何かしら生業を持たなければならないので、やりがいを見出して前向きに過ごす方が良い」ということと「仕事の対価は報酬だけじゃなく、感謝をいただけること。その幸福感は何事にも代えがたい」ということです。

何のために仕事をするのかというと、お金のためもあるかもしれませんが、やっぱり「ありがとう」と言ってもらえると、とても気持ちいいものなんです。もしかすると、なかなか若い人には響かないかもしれませんが…。

でも、そういう幸せをみんなももうちょっと感じて欲しいなと思うんだけどな。仕事にしても、ただ漫然と作るよりも、なんかそこで自分で喜びとかやりがいを見出しながらやった方がずっといいと思うんです。

学生さんたちにちょっと集まってもらって、いろいろと話してもらったんですけど、時間通りに終わってそこそこの給料をもらえればいい、休日とかは自分の時間を持ちたいという感じなんです。

僕としては、感謝をもらう幸せとか仕事のやりがい、生きがいなんかをもっと知って欲しいなと思っています。専門学校では物の作り方といった技術や知識については学べるんですけど、技工士会として、若い人たちに社会に出てからの教育をすることで、そういった人間性を構築するようなことができたらなと思っています。できたら、「歯科医療ならではのやりがいを感じ取って欲しい」というのが僕の希望ですね。

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