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その時を必死になって生きる、もうそれしかない
その時を必死になって生きる、もうそれしかない

その時を必死になって生きる、もうそれしかない

昭和大学江東豊洲病院 消化器センター長・教授井上 晴洋

昭和大学江東豊洲病院
消化器センター長・教授
井上 晴洋

父親の胃がんの手術を執刀した先生の言葉をきっかけに、医師を志した井上センター長。医局に入局後は、恩師から「外科医は臨床が全てである」ということを学んだ。標本整理などの雑用をコツコツこなすことで、着実に知識と技術を習得し、腕を磨いていった。2014年より昭和大学江東豊洲病院消化器センター長に就任。身体を傷つけずに内視鏡を使って筋層切開術を行う新しい術式・POEMを開発。患者の負担を最小限に抑えつつ高い効果を発揮する治療法として、世界的に評価され、海外でも数多くの手術を執刀している。そのキャリアからは、妥協せずにとことん突き詰めることの大切さが伝わってくる。


キャリアのなかでの成功体験について井上センター長に伺ったところ、自分の好きなこと、得意なことを選んで徹底的にやったことという答えが返ってきた。医師を目指したきっかけは、小学5年生の時、父親の胃がん手術を担当した教授に「君も大きくなったらお医者さんになりなさい」と言われたことだった。その後、医学部に入学してから現在に至るまで、「医学に関することは徹底的にやってきた」と語る井上センター長に詳しく話を伺った。

 

小学5年生の時、父が突然、胃がんで入院したんです。手術が終わった直後に、執刀してくれた外科の教授の先生と廊下でばったり会いました。そしたら、僕の頭をなでながら、「君も大きくなったら、お医者さんいなりなさい。外科医になりなさい」というふうに言われたんですね。

結局、父は退院できないまま亡くなったのですが、今にして思えば、その先生は父が助からない可能性は高いと分かっていたのだと思います。それまで、小学生らしくのほほんと過ごしていたのですが、父のリベンジというところもあって、医学部を目指すようになりました。

勉強がものすごくできる方ではなかったのですけれど、なんとか医学部に入学しました。入学して思ったのは、医学部はゼロスタートだということ。医学部に入るまでは、人体解剖をしたり、身体をメスで切ったりしたことがある人はいないわけです。受験が終わったら1回リセットされた感じがしていました。もともと生物は大好きだったので、医学部に入ってからは、水を得た魚のような感じで。医学部での勉強に関しては、面白かったので、一切手を抜きませんでした。

25歳で消化器外科の医局に入った後も、とにかく臨床に関しては徹底的にやりました。そういうことが好きというのもあって、内視鏡にしても手術にしても時間は関係なし。手術をやらせてもらえなくても、下働きはいくらでもできるので。そうやって、10年以上、20年以上続けていくと、どんどん専門性の高い領域に入っていけるんです。

そういった姿勢でいられたのは、最初にメンターについてくれた先生の存在が大きいです。とても誠実な先生で、とにかく臨床に厳しいんです。外科の手術と術後管理といったことに関しては、絶対にいい加減なことを許さない。「外科医は臨床が全てである」ということを叩き込まれたおかげで、自分の方向性が決まりました。医学そのものが楽しいので、それで結果として非常によかったですね。

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