医ノ匠

  1. 医ノ匠 HOME
  2. インタビュー
  3. 医療法人社団明芳会イムス東京葛飾総合病院 院長 吉田 成彦
ピンチはチャンス、チャンスはピンチ失敗の引き出しをたくさんつくることで、強みが生まれる
ピンチはチャンス、チャンスはピンチ失敗の引き出しをたくさんつくることで、強みが生まれる

ピンチはチャンス、チャンスはピンチ
失敗の引き出しをたくさんつくることで、強みが生まれる

医療法人社団明芳会イムス東京葛飾総合病院 院長吉田 成彦

医療法人社団明芳会イムス東京葛飾総合病院
院長
吉田 成彦

医学部を卒業後、心臓血管外科医としてさまざまな手術を成功に導いてきた吉田院長。「ピンチはチャンス、チャンスはピンチ」という座右の銘の通り、周りの医師や自身の失敗から学び、多くの引き出しをつくってきたことが、吉田院長のキャリアにおいて大きな強みとなった。患者の命がかかった正念場を潜り抜けてきたからこそのメッセージは、若者たちにとって深い学びとなるだろう。


和歌山県立大学医学部卒業後、胸部外科内の心臓外科に入局し、卒業3年目に国立循環器病センターに勤務。心臓外科医として、さまざまな手術を執刀し、成功を積み重ねてきた吉田院長。心臓血管外科医のトップランナーとして走り続けたキャリアについて伺った。

 

心臓血管外科医を選んだ理由は、柔道部の先輩に誘われたのがきっかけです。先輩が一番多く入局したのが胸部外科だったからです。そこでは、肺がんや乳がんのチームもあったのですが、いろいろ経験して心臓が好きだなと思ったんです、母も心臓が悪かったので、それもありましたが。大学卒業から3年目に国立循環器病センターという専門病院に行って、そこからずっと心臓血管外科をやっています。

最初のうちは、自分で手術なんてできないから、先生たちの手術を見て、「こうやったらこういう結果になるんだ」といったことを、術後管理をしながら学んでいきました。国立循環器病センターでは、師匠となる先生に3人も出会えて、非常に大きな学びを得ることができました。

ただ、当時は医局にオペレーターの先生が10人くらいいて、「何歳になったら自分が手術できるんだろう」と思って、医局を辞めて新東京病院に移ったんです。僕はずっと関西で暮らしてきたので、言葉も常識も違う東京に行くのは、非常に大きな決断でした。医局を出る相談を教授にした時に、「お前が行きたいんだったら飛び出してやってこい」って行かせてくれたんです。そこが僕にとって、大きなキャリアの転換点だったと思います。

その時の送別会の席で「心臓血管外科で一人前にならんかったらメスを置くつもりで行きます」って言いました。そして、移った先の新東京病院で、ある循環器内科の先生に、症例を回してくれるなど目をかけてもらいました。その先生が、新葛飾医院の院長に就任することになって、心臓外科を立ち上げるからと誘ってくれたんです。これが僕とイムスグループの出会いであり、とても大きな分岐点でした。

もし上手くいかなかったら辞めるつもりでしたが、幸いにも大きな失敗はなく、2~3000症例ほど治療をしました。それから、20年葛飾でやってこれているのですが、キャリアを振り返ると本当に人の縁に恵まれてきたなと思います。

コンテンツは会員限定です。
続きをご覧になるには以下よりログインするか、会員登録をしてください。