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死ぬこと以外はかすり傷自分の決めたことは絶対やり通したい
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死ぬこと以外はかすり傷
自分の決めたことは絶対やり通したい

株式会社Medi Blanca 代表取締役横⼭ 佳野

株式会社Medi Blanca
代表取締役
横⼭ 佳野

大学の看護学部で看護師と保健師の資格を取得。その後、大学病院の腎臓内科やICUを経て、転職後はオペ室、内科・外科混合病棟を経験。看護師としてのキャリアを8年間にわたり積んだ横山代表取締役。退職後は看護師をベビーシッターとして派遣する会社を設立するため、小児科クリニックとベビーシッターを経験。2019年に会社を設立し、自ら看護師のベビーシッターとして活動し、病児保育・障がい児保育を看護師の新たな活躍の場にできるよう、病児保育のあり方を変えようとしている。


横山代表取締役は、「看護師を目指したきっかけは、親に国家資格を取りなさいと言われたから」と語る。高い志から目指したわけではないものの、看護の仕事を通して、医療や患者への想いが強まっていったという。「働くって楽するだけじゃだめなんだと気づかされた」と語る横山代表取締役の言葉からは、看護に真摯に取り組んだ道のりが伺える。

 

看護師の道を選んだのは、高校生のときに親に「国家資格を取りなさい」と言われたのがきっかけです。最初は薬剤師も考えたんですけど、受験科目とか、あと6年間大学に行くこととかを考えるとちょっとな…と思って、看護師にしました。

ただ、死を扱うのに抵抗があって仕事もすごく大変そうなので、看護師ではなくて保健師の方が良いかなと思うようになり、大学に進学して看護師と保健師、両方取ることにしました。

正直なところ、最初は高いマインドとかはありませんでしたが、看護師として大学病院に入職した時に、使える看護婦になろうって決めたんです。だから、5年は大学病院にいるつもりでした。

腎臓内科に配属されて、3年間でひと通り看護師の一般的な技術は身につきましたが、「自分は看護師として全然だめだ」と思っちゃったんです。「人が倒れていたとして、助けられないな」って。最初に描いていた3年後の看護師像とのギャップと全然違っていたので、もっといろいろ考えられるようになるために、ICUへの配属を希望しました。

ICUでの仕事はすごくハードでしたが、ものすごく勉強になりました。この人はこういう疾患だから、こう言ったリスクがあるといったことを考えながら看護する必要があって、命を守るためにずっと頭を働かせていました。
仕事をする環境としては過酷で、涙をこらえながら働いている状態でした。でも、看護師として大きく成長できて、「自分の看護は正しかった」と思える瞬間がたくさんあって…。また、自分が看護師に戻るとしたら、ICUで働きたいです。

その後、「もっと負担の少ない職場で働きたい。楽にお金を稼ぎたい」と思って、転職しました。オペ室を経験した後、病棟に移動したら、定時で帰れて、夜勤もない。でもまあまあ給料はもらえる。理想の環境だったんですが、患者さんに対する意識や自分の成長、やりがいといった面で物足りなくて…。「働くって楽するだけじゃだめなんだ」って気づいたんです。

でも、大学病院に戻る選択肢も考えられなくて、看護師の資格を活かして、新しいことを始めたいと考えた時に、ベビーシッターが頭に浮かびました。

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