和歌山県立医科大学卒業後、堺市立総合医療センターで初期研修、聖路加国際病院で内科専攻医を経て、慶應義塾大学病院でリウマチ・膠原病内科の診療と研究に従事した山田裕揮先生。自身も厚労省指定難病を抱え苦しんできた経験と医療における構造的な課題を仕組みから解くことを目指すモチベーションから、株式会社Mediiを設立。難渋例に悩む主治医とそれを解決に導ける専門医をつなぐオンライン相談サービス「Medii Eコンサル」を開発した。指定難病の99%をカバーするプラットフォームへと育て上げ、「誰も取り残さない医療を」の実現に向け走り続けている。

(2013年、医学生時代に仲間たちと主催した「宿坊合宿」。医師・医学生あわせて130人が参加した。 )
最大の成功体験は、医学生時代に仲間と共に立ち上げた勉強会が今も受け継がれ、今取り組む社会課題解決のための事業の礎になっていることだという山田先生。医師を志したきっかけと成功体験について、振り返っていただいた。
医師を目指したきっかけは、大きく3つあります。1つ目は、私自身が病気で4回入退院を繰り返した患者当事者としての経験です。入院するたびに、絶望的なマイナスの状態の心身がゼロに戻っていく過程を経験し、当たり前ではない健康のありがたさと医療の重要性を強く感じました。
2つ目は、家族の死です。私は母子家庭で、同居していた曾祖母が、ずっと仕事で不在の母に代わってよく世話をしてくれていました。亡くなった時はすごくショックで、大切な人の命や健康を直接支えられる医師という職業を意識するようになりました。
3つ目は、アカデミックな好奇心です。もともとは工学や理学系の研究者になって、ノーベル賞を取りたかったんです。ですが、進路を見つめ直すうちに、より人と直接関わっていく方が自分には合っていると気がつきました。人と向き合いながら人体というまだまだ未開領域も多い学問を追求できる道である、医学部への進学を決意しました。
今は少しずつ改善しつつありますが、私が医学生だった頃は、医学部は臨床医を育てる場所のはずなのに、患者さんを実際に診たり、接したりする機会がほとんどないことに違和感を覚えていました。 その後、海外の病院に留学した際、海外では1年生から臨床現場に触れると知り、その違和感は確信に変わりました。 知識を身につけることは、もちろん大切です。ただ、日本の医学教育は、野球のルールをひたすら覚え、卒業と同時にいきなりプロの打席に立つよう求められている――私にはそんなふうに感じられたんです。
大学で学べないのであれば自分たちで学ぶ場をつくろうと考え、大学内で自主的な勉強会を始めました。最初は10人ほどの小さな集まりでしたが、他大学の学生とも交流を重ねる中で活動が広がり、最終的には全国80大学、延べ1,000人規模が関わる会に成長しました。
当初は大学でもしていない変わったことをしていると見られ、否定されることもありました。しかし、患者さんを診るために必要な学びだという信念のもと、地道に活動を進めていきましたね。
この経験は、今の自分の土台になっています。志を同じくする仲間を巻き込み、一つの目標に向かう点では、今しているスタートアップ経営と本質的に近いと感じました。当時の縁は今も続き、その後会の幹部を引き継いでいってくれていた仲間が、今縁あってMediiの医師メンバーとして事業を支えてくれています。点と点がつながり、今の自分を形づくっていると感じます。
医学部を卒業後は、約7年間にわたり堺市立総合医療センター、聖路加国際病院、慶應義塾大学病院で臨床と研究に従事しました。ただ、はじめからこの道を思い描いていたわけではありませんでした。
私はもともと循環器内科を志望していました。しかし、医学部5年生の終わり頃に、自分の病気が難病の一つである自己免疫疾患であり、体力面で厳しい可能性があることが分かりました。自分が思い描いていた医師像を、そのまま実現するのは難しいと突きつけられた瞬間でした。一方で、いざ自分が難病患者の立場になって初めて、患者さんのことを何も分かっていないと気づかされました。同じように一生病気を背負う人たちに、自分だからこそできることがあるのではないかと考え、膠原病内科を選びました。
臨床に携わるなかで、大学病院ではごく普通に行われている診断や治療も、専門医が不在の医療機関では紹介すべきかの判断自体が難しく、あらゆる領域・疾患のアップデートをし続けないといけない負担が如何に大きいかを感じました。特に自分のような難病や希少疾患は、疾患によっては生涯に一度か二度しか診ない医師も多く、新薬があっても使い方の判断は容易ではありません。高い専門性を持つ先生との議論で診断が変わり、治療の選択肢が広がる経験を重ねる中で、専門医の知見を属人的なままにせず、仕組みとして共有できれば、多くの患者さんを救えるのではないかと考えたことがMediiの出発点です。「誰も取り残さない医療を」というミッションもこうした想いを反映しています。

一人の医師としてではなく、医療構造を変えることで多くの苦しみ続ける患者を救うという目標を掲げ、Mediiを設立した山田先生。しかし、経営の知識や経験がないまま起業したことで、組織を一度崩壊させる苦い経験をした。
ただ、起業した当時の私は、経営も組織づくりもビジネスの仕組みも全く分かっていませんでした。私にとってビジネスの世界は真っ暗闇でした。興味を持ってくれた人たちとチームをつくりましたが、目指すものや、大切にする価値観、そして求める行動を明確にできていませんでした。
私は組織づくりにおいて、目指す方向と評価されるべき価値ある行動の両方がそろうことが重要だと考えています。これを自分では「ベクトル理論」と呼んでいます。当時はその理解がなく、協力してくれた人たちの力を十分に生かせないまま、2022年に元のチームを解散することになりました。自分の力不足のために巻き込んでしまった人たちには、今も申し訳なく思っています。
しかし、その失敗があったからこそ、今は何を基準に仲間を迎え、どのようなチームをつくるべきかを当時より明確に考えられるようになりました。医療では患者さんの生命や健康に直結するため、失敗を避けることが最優先です。しかし、事業では小さく始め、失敗を恐れず挑戦した上で早く学び、高速で改善し続けることが重要です。
現在は、早期診断と治療の最適化への貢献を目指し、全国の主治医が抱えている難しい症例の課題を明らかにして、国内でも数が限られた専門医と共に解決へと導く仕組みを構築しました。また、多くの製薬企業との協業プロジェクトによって、持続可能な事業モデルも実現でき組織もどんどん拡大しています。2025年末には日本のサービスの中で革新的な優れたサービスを表彰する「日本サービス大賞」において「厚生労働大臣賞」をチームで受賞するに至っています。組織崩壊の経験があったからこそ、今の強いチームと事業の成長につながっていると思います。

座右の銘は「無知の知」だという山田先生。その言葉には、これまでの歩みすべてが凝縮されている。
座右の銘は「無知の知」です。自分が病気になって初めて、患者さんたちのことをどれだけ分かっていなかったかを知りました。起業してからも、経営や組織について何も知らないまま進んでいたことを、失敗を通じて思い知らされました。知識や経験を積むほど、自分がまだ道半ばであり、知らないことがいかに多いかが見えてきて、その都度もっと物事の本質を知りたい!と強いエネルギーが湧いてきます。
医療の世界には、分からないことを分からないと言い出しづらい文化があります。しかし、医学の情報量や治療法は急速に増えており、すべてを一人で把握することはほぼ不可能です。今は、知らないことを認め、そこから学び、患者さんに還元しようとする医師の方が信頼される時代になっていると感じます。無理にすべてを知っているように振る舞うより、わからないことを認めて真摯に学ぼうとする姿勢の方が、診療を受ける患者の立場からすると誠実に感じます。
過去や他人を変えることはできませんが、未来と自分は変えられます。失敗や不足に直面した時、自分の無知を認めて向き合えば、次の行動を変えられ、周囲への感謝もリスペクトも自然と生まれます。どんな出来事や人からも学びがあると考え、常に自分を省みながら、目の前の人と社会のハピネスを追求する。その結果として自分自身もより良い方向へ進んでいけると考えています。

プライベートでは「何もしない時間」を大切にしている山田先生。当たり前をどう捉えるか。
ベランダに椅子を出して、ただ空を眺めながら一日考え込む時間が、私にとって最も幸せなひとときです。技術と社会、人間の本質がどう交わり、10年後、20年後に何が起きるのかを考えています。YouTubeや哲学書、歴史書を素材に、表面的なトレンドより、なぜ変化が起きるのか、その構造がなぜ起こるのか?こちらの話でもこっちの領域でも同じことが言えるのではないか?を深く考えることが好きです。
この習慣の根底には、健康も命も当たり前ではないという実感があります。親を失い、難病を抱え、自宅も水没し、一度はチームも失いましたが、それでもすべてを乗り越えてきました。今ここにある普通が、どれほど幸せなことか。足るを知る。ぼーっとする時間でさえ、当たり前がいかにありがたいかを噛みしめる瞬間になっています。

最後に、AIによって医療従事者の役割が大きく変わる現在、若い医師や医療を志す人に向けメッセージをいただいた。
これを見てくれている人には「人にしか担えない価値を問い続けることが、これからの未来を、医療をつくる」とお伝えしたいです。
これから10年で、医療を含む社会の構造は大きく変わると思います。スマートフォンがわずか数年で生活に溶け込んだように、これからはAIがあらゆる産業の前提を変えていきます。
医療でも、膨大な知識の暗記やガイドラインを調べるといった作業は、AIに置き換えられていくでしょう。今までの仕事がこの先も当たり前に残ると思わず、本質的に何が価値なのか、自分にしかできないことは何かを問い続ける必要があります。
AI時代において、医療現場で人にしかできない役割は「臨床コーディネーター」として集約すると考えており、それは構造的にAIには代替されない二つの要素があります。一つは、責任を持って意思決定することです。AIが診断や治療方針の候補を提示できても、患者さんに向き合い、最終判断とその責任を引き受けるのは医師です。もう一つは信頼関係を築くことです。患者さんの不安や恐れを受け止め、その人の不安や受け止め方に合わせて説明し、寄り添って支えることは人間だからこそ提供できる価値であり、人としての原点回帰とも言えます。
病気や死が無くなることはありません。だからこそ『医療の本質とは何なのか』を問い続け、追及し続ける。それが、新しい時代における我々の役割であり、新しい未来を創る力になると信じています。
AIには立てられないこの途切れぬ問いを一緒に考え、ワクワクする未来をともに導いていけるのは、現場で患者さんと向き合う医療者だからこそです。今も、今日も苦しみ続ける患者さんたちのために、皆で手を取り合って共に今まだない未来を創っていきましょう。
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