医師であり起業家としても活躍する中村恒星さん。難病の患者さんとの出会いをきっかけに、食事の痛みを和らげる「世界一やさしいチョコレート andew」を生み出しました。薬学から医学、そして起業へ——その歩みには数々の「一期一会」の出会いがありました。患者さんの声に耳を傾け、社会に新しい価値を届けるまでの道のりを伺いました。

中村先生は、最初から医師を目指していたわけではない。中学生の時にテレビで見たエイズ孤児の番組がきっかけで創薬の道を選択。薬学部で研究するなかで、実際に患者と接することが大切だと感じ、医師を志した。世界一やさしいチョコレート「andew」が誕生するまでのエピソードを伺った。
もともと、医師志望ではなかったんです。生まれつき心臓の難病であるファロー四徴症を患い、子どもの頃から医師と接する機会は多かったものの「医師になりたい」と思ったことは全くありませんでしたね。中学生の時にたまたまテレビでエイズ孤児の番組を観て、「完全には治らない病気は大変だな」と思いました。幸い私は、手術のおかげでそれなりに元気に生きています。治療法がなく苦しんでいる人たちのために、「薬を作りたい」と思い、創薬の道を選びました。
富山大学薬学部に進学し、脊髄損傷の治療薬開発に携わりましたが、朝から晩まで実験を続けるうちに、誰のための研究なのか分からなくなってしまったんです。それは、脊髄損傷の患者さんたちがどのような人で、何を望んでいるのかを上手く想像できなかったのが原因でした。そこで「ジャパンハート」に参加して、ミャンマーへ患者さんのケアを学びに行きました。実際の治療に携わることにより、患者さんの実際の姿を知った上で、研究をすることの大切さを学びました。患者さんに関わることがモチベーションに繋がり、30代・40代になった時の選択肢も広がるのではないかと思い、医学部進学を決意。その後、北海道大学医学部に編入しました。
医学部に編入後、少しでも早く患者さんと関わりたいと思い、北大の先生から表皮水疱症の患者さんを紹介していただきました。表皮水疱症は、皮膚をつなぐタンパク質が生まれつき欠損しているため、皮膚がはがれて水ぶくれや潰瘍ができてしまう難病です。患者さんとカフェでお会いして、率直に「大変な病気だな」と感じました。肌には水ぶくれやただれができていて、手の指が癒着していました。表皮水疱症の患者さんと接するのは初めてだったので、患者さんがカウンターでコーヒーを受け取る時に「手伝った方が良いかどうかも分からないな」と戸惑ったのを覚えています。その後、患者会の運営支援をするなかで、患者さんたちの食事の困難さを知りました。表皮水疱症の患者さんは、少しの刺激で口の中の粘膜が剥がれてしまうので、食事の度に大きな痛みが生じ、栄養摂取もままならない方が多いんです。
そこで、患者さんが痛みを感じずに美味しく食べられて、さらに栄養を十分摂取できる食品を作ることにしました。チョコレートを選んだのは、食感がなめらかである、栄養価の高い食材を混ぜやすい、保存がしやすい、といった点が適していると感じたからです。それに、患者さんの気持ちの面でも、チョコレートが良いと思いました。チョコレートって他の食べ物よりもポジティブなイメージがあると思うんです。上手く展開すれば、食事が苦痛で困っている患者さんが喜んでくれそうだと感じましたね。自宅で試作を繰り返しましたが、素人なので上手くいかず、札幌のチョコレート専門店に協力をお願いしました。その社長さんも新たなチョコレートの在り方を模索していたタイミングで、「面白い」と思ってくださったようです。試作の開発を無償でお手伝いいただいたことは今でもとても感謝しております。そうして完成したのが「andew」です。患者会で試食してもらったところ、5歳くらいの子どもが「おいしい」って言ってくれて、手ごたえを感じました。子どもは忖度しないので、「ちゃんとおいしいものができたんだ」と感じ、嬉しかったのを覚えています。

チョコレート「andew」の開発・販売は、決して順風満帆ではなかった。中村先生はある患者から厳しい指摘を受けた。最初は戸惑ったものの、その言葉がきっかけで大切なことを学べたという。一方で、ビジネスとしての壁を感じる場面もあると続けた。
実はある患者さんに「患者のために作らないで」と怒られたことがあるんです。最初は正直、腑に落ちませんでした。でも「患者のための商品は、健康な人が積極的に使いたいものではない。自分たちが使いたくないものを、なぜ私たちに勧めるのか。普通に1人の人間が使いたいものでいいじゃない」と言われて、ハッとしました。美味しくて栄養が摂れるチョコレートは、病気の有無にかかわらず、多くの人に求められていると思います。そういった商品が、「実は患者のために開発された」というバックグラウンドを持っている、というスタンスの方が良いということに気づいたんです。
5年間、会社を経営してきて感じるのは、資本主義の厳しさです。どんなに良い活動をしていても利益が出ないと、ほとんどの場合は脱落してしまいます。「andew」も病院の売店に置いてもらうように営業するなかで、利益面の課題をあらためて感じました。先ほどお話した「普通に1人の人間が使いたいもの」を追求することで、さらに軌道に乗せ、多くの方にお届けしたいですね。

中村先生のこれまでの歩みを振り返ると、数々の偶然の出会いが重要な転機となっていることが分かる。その背景にあるのが、先生が大切にしている「一期一会」の精神だ。
これまでの流れを振り返ると、人との出会いが転機になっていると感じています。表皮水疱症の患者さんやチョコレート専門店の社長さん、起業を支えて下さった周りの方々との出会いがなければ、「andew」は生まれていません。
また、メディアのみなさんとの出会いにも助けられています。例えば、地上波のテレビ局が「andew」を取り上げてくださった際のYouTube動画は、850万回近く再生されていて、多くの方に知っていただくきっかけになっています。これからも「一期一会」の精神で、人との出会いや繋がりを大切にしていきたいです。

「患者さんからの喜びの声を聞くのが一番嬉しい」と語る中村先生。これからの展望について、お話いただいた。
患者さんの喜びの声が増えることが何よりのやりがいですね。先日もがん患者のユーザーさんと電話で話している時に「あの時、andewがあって助かりました」という言葉をいただいて、めちゃくちゃ嬉しかったです。利益を追いかけるのではなく、andewをたくさんの人に届けることで、結果的に会社が大きくなれば良いなと考えています。
病気で悩んでいる患者さんは、世界中にいます。チョコレートを選んだのは、世界各国で食べられている食べ物というのも理由のひとつです。フィンランド、スウェーデン、ハンガリー、イギリスなどを旅して、いろいろな人に「andew」を食べてもらいました。チョコレートなら国境を越えることができるので、日本だけではなく、世界に広まったら最高ですね。
今後も、エビデンスを大切にしてブランドを育てていきたいと考えています。栄養食の領域では、科学的根拠のない話が広まることがあるんです。健康に関わることなので、科学的根拠に基づかない情報の拡散は問題だと感じています。積極的に研究を行い、臨床的に患者さんたちにとって良いものを追求していきたいです。

若者たちへのメッセージとして「20代のうちは、とにかくいろいろな人に出会うことが大切」という言葉をいただいた。人との出会いを大切にしてきた中村先生らしいメッセージだ。
若いみなさんには、たくさんの人と出会って、話を聞いたり仲良くなったりして欲しいです。人と繋がっていくことで、助けてくれる人や困った時に相談できる人など、様々な縁ができます。私は30歳になったばかりなのですが、20代のうちは、たくさんの方に力を貸していただいたと感じています。私自身も、泊まる場所に困っていた時、友人がシェアオフィスに泊まらせてくれて、そこに来た人たちとも仲良くなりました。そうして繋がった人と、5年くらい経ってまた別のことで交わることもあります。
医療はやや狭い世界ですが、私は20代半ばで起業するなかで建築関係やプログラマーなど、普通に医師として生きていたら絶対に出会わない人たちと出会いました。20代のうちにそうした出会いがあることで、その後の人生が豊かになると思います。とはいえ、もらってばかりではだめなので、いつか医療のプロフェッショナルとして頼られることがあれば、お返しできたらと考えています。誰かに助けられ、自分も誰かを助ける。そうした生き方の第一歩を20代で踏み出せたら、すごく幸せなのではないでしょうか。
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